両親に殺された感情を取り戻す(4/5)

「人生でやり直せるならいつがいい?」

自分は「大学時代」と答えるだろう。同級生は都会出身で教養もありコミュ力も非常に高かった。もしも彼らから人間関係の築き方、立ち振る舞い等を学べるような柔軟性があったら自分の社会人生活は180度違っただろうなと後悔している。

でも転換点ではあった。4年生の時に1年間留学した時のこと。

1年間家族から離れ、日本人が少ない外国にいると同郷の人や友人に頼ったり語り合うことができたため、人間関係の築き方を知ることができた。家族以外の人と密にコミュニケーションを取るという非常に貴重な経験ができた。

この経験のおかげで、他人を一人の人間として認識できるようになったのも大きな進歩だったと思う。あと、クラスの先生が「自分の感情を隠さないで」と根気強く伝えてくれたことも大きい。たぶん人間不信で卑屈な性格が顔に出ていたんだと思う。

そこでは人間関係も学ぶことができたし、一番大きかったのは自分の感情や意見を言えるようになった。一人旅をすることで、自分で決める経験を積むことができたので、徐々に家族から感染した毒が抜けていったんだと思う。

でも、留学の後半に入ると例の過眠症が出てしまい、かなりまずいことになったが皆のお陰で乗り切った。感情表現はできるようになったが、疲労が溜まった時の対処法までは手が回らなかったことが原因だと思う。

帰国してまた実家での生活が始まったが、端的に言って地獄だった。就活の準備が万端でなかったこともあって、売り手市場なのに内定がでない。どこも最終面接落ち。

急に父親がESを直してやると言いい、内容を見せたら「バカだな」とかなりきつめの言葉で罵倒された。自分の落ち度ではあるが、嫌な気持ちになったので、それ以降は頼らず、とにかく数をこなして型を身に着けた。また過眠の症状が出て、高校時代のとは異なるメンクリに行ったが、そこでも何の疾患でもないといわれてしまった。

自分の準備不足が原因であることは自覚があるが、何よりも辛かったのは親戚との集まりでの父親の発言。「売り手市場って言われているのに内定が無いなんてよぉ...」

自分の不甲斐なさは理解しているが、親戚の前で公開処刑されて本当に傷ついた。

なんとか就職は決まった親は不服だったらしい。「〇〇さんの子供は△△(有名企業)に内定した」、「調子が良ければ□□(省庁)に受かったかもな」と言われたので、こっちの就職先については不満なんだなぁと悲しい気持ちになった。

言い訳をしたいよ。まっとうなコミュ力を幼少期に身に着けていれば、面接でのやり取りもスムーズだったかもしれない。あと、他の友人に聞いてみたら、webテストの代理受験(違反ではあるけど)とか面接の練習とかやっていたみたいで、"協調性の無さ"が最後になって足枷になっていたことに気が付き絶望した。

コミュ力はある程度マシになったが、普通の人の足元にも及ばないレベル。だから社会人になっても本当に苦労した。