母との関係(3/3)

自分は変わったが家族は一切変わっていないからだ。発言の内容を振り返っても自分の主張はおかしくないことは、友達もメンクリの先生も同意してくれた。

大きな事件は大学卒業直後に勃発した。卒業旅行が1か月になること、卒業式にはガウンを着ると発言したことがトリガーだった。母は床を叩きながら「学生のくせに遊びやがって!」「誰が学費を払っていると思っている!」と叫んだ。

旅行が長期になる理由は、1週間ほど大学の友達のところを滞在したかったから。めったに会えないと思ったし、実際もう5年ほど会えていない。事情を説明しても理解をしてくれず、寝込まれてしまった。それなので、友人と会う計画は泣く泣く諦めた。というかその時期は講義も終わってるし卒論も提出済みなので、長期で出かけることは問題ないはず。

ガウンの件は、当時20キロほど激太りしたため、首元が詰まる服だけは回避したかった。それを伝えても聞き入れてくれずこれも泣く泣く譲った。自分の卒業式なのに、多分母の考えでは学費を払ったのは自分だから(とは言っても50万円)、それ相応に言うことを聞かせる権利があると思ったのだろう。

子供は自分のアクセサリーと本気で思い込んでいるんだろう。まぁ親ってそんなもんだろうけど。でもその割には、最低限の躾も、身だしなみ、立ち振る舞い、コミュ力、協調性を教えることもなかった。言い換えれば、アクセサリー扱いの割には磨くということを怠ったという体たらく。

そのツケは今でも自分で払っている。丁寧な言葉遣いを学び、体臭対策、服装や髪形の清潔感を保つ、色んな人と定期的に交流、チームワークで仕事をするなど。

社会人になりたてで親からの毒が抜けきっていなかった時期と比べて相当マシになった。というか、みんなから「(良い意味で)変わったね」と褒められるようになった。

というか、帰国後は「コミュニケーションが取りやすくなった」と褒められることもあり、それ以前の自分はどれだけ酷かったのか...

社会人になっても小さな事件は起こった。帰省した時、母が急に「子供たちには暴力をふるってしまったがあの時は仕方が無かった」と言い出した。謝罪の言葉もなく呆れた。しかも「実家に戻ってこい」と続いた。介護要員が欲しいんだろうなと察した。話の流れからも到底許しがたく、「それはありえない」としっかりと拒否した。

それをきっかけに、特に母との交流は控えることにした。Lineを既読無視すれば諦めるだろうという淡い期待は裏切られという日々が半年以上続いた。

そしたら親は何かを察したのだろうか、正月に帰省するようしつこい連絡が続き、耐えられずブロックした。すると、イチゴを郵便で送りつけてきた。親の魂胆としては、これを送ればさすがに返事を返すだろう。そんな気がして気分が悪くなったので、受取拒否した。

さすがに堪えられなかったのか、ついに職場に電凸してきた。会社の人は「個人情報保護のため」とうまい具合にブロックしてくれた。

「親の一連の行動は異常だね」とメンクリの先生ですら完全に呆れていた。「なにがあっても応じてはいけないよ」の念押しされた。

自分はメンクリの先生もドン引きするような親に育てられた。

他の人だと親から教えてもらっていた内容を、20代後半に一人で学ばなければいけないことは正直惨めだ。でも、他責思考の姉二人の悲惨な現状を見ると、遅くてもやらないともっと酷いことになることは明らかだ。

母と関係を断つ準備として、Lineはブロックしたし、郵便物は受取拒絶した。もしも転職できたら住所も新しい職場も伝えることなく、完全にさようならするつもりだ。

話し合いはしない。無駄であることは親友、メンクリの先生と説得されたし、親とは話が通じないことは分かりきっているからだ。

普通の人の倍以上に遅れて人生を歩んでいく覚悟はできた。