両親の介護係の候補になりかけた話

子供時代はサンドバック役、大人になったら介護係の候補。

末っ子の自分は常に家族のガス抜き要因だった

メンクリでのカウンセリングを受けた時のこと。自分が家族からいじめられていたことに気が付かされた。「あぁやっぱりね」悲しいけど直観と合っていた。

末っ子だったからか、自分は家族からサンドバック役にさせられていた。

家族で一番若く相対的に社会経験が浅いことをいいことに「チビ」「バカ」と侮辱されてきた。歯並びの悪さを笑われ、思春期や高ストレスで太った時は「ブタ」と貶されもした。「アンタはウチの子じゃない」と発狂した母に夜中家から閉め出され、「(玄関を)開けてよ!!」泣き叫ぶ姿を家族からバカにされた。

何かに挑戦するとか試そうとするとバカにされた。どの服がいいかアドバイスを求めると「お前に似合う服なんてない!」と追い払われた。クラブ活動ではリーダーを立候補したりと一生懸命に活動していたら「必死になっちゃってさ」とバカにした口調で言ってきた。

物心ついた頃から、家族からバカにされてきた。たぶんサンドバック役だった。

一番問題だったのは母だった。マイルールへの拘りが強く、そこから少しでもズレると暴れ出すので本当に手に負えなかった。殴る、叩く、子供の私物を玄関や車庫にばら撒く、家から閉め出す、1か月無視する、人前で侮辱することは日常茶飯事だった。

拘りの強さも尋常では無かった。一応看護師の資格を持っているので、栄養管理には神経質になっていた。例えば、菓子類は厳禁、鉄分補給のために鉄製のフライパン(汚れがこびりつくので洗うのが大変)など。なお、健康管理は見事に失敗し、子供3人とも思春期は肥満体型になり、父は高血圧など健康不安を抱えている。

あと喧嘩っ早い性格なので、友達も少なく、その性格を反省して言動を改めるということもしなかった。自分は親切で、思慮深く、傷ついた経験があるから人の痛みが分かる人間と本気で思い込んでいる。

友達が少ないというか、いないんだと思う。長女通う高校の文化祭の日に事件は起こった。母に文化祭に一緒に行こうと誘われたが、気が乗らなかったので断った。そのことに腹を立てた母は、私の部屋が汚いことを口実に家から私を閉め出して、母一人で文化祭に向かった。

ただ、家に出る直前にこっそりと廊下のカギを開けたので、母が家から離れたことを確認して家の中に戻った。たぶん、文化祭には行きたいが他に誘える同年代の友人やママ友がいなかったこと、子供にも断られたというダブルのショックでおかしくなったんだと思う。

あと、母は掃除について異常な拘りがあった。特に母の友達が遊びに来るときは憂鬱だった。八つ当たりをするように掃除をするので、物が当たる音が本当に不愉快だった。あと、玄関の掃除をほうきではなく、掃除機でガチャガチャと汚れを吸い込ませようとする異常な行動をする姿を見るだけでも吐き気がした。

そんな性格なので、掃除が苦手な私との相性は最悪だった。唐突に部屋に入ってきては「部屋が汚い」と叫び声を上げ、私の私物を玄関や車庫にばら撒いたりした。

母は綺麗好きというか、完璧主義だったので、一応身の回りの整理整頓は人並みにできている。次女にもそれが遺伝しているが、逆に規則性や反復性にこだわりを持っているため、手際の良さや臨機応変な対応が求められる料理は本当にダメだった。例えば、5mm幅にカットする時は定規を出したり、重さもグラムを寸分の狂いもなく計るなど、発達障害の中でも自閉症傾向を疑われるような行動が多い。

母と正反対の性格だったこともあるが、母は違う性格の人と落としどころをつけるとか、性格が違うことを認めて相手を尊重するという選択をしなかった。他の家庭との交流する機会が無かったことも、自分の価値観が凝り固まった原因だと思う。一応習い事も挑戦してみたが、飽き性なのと、ド田舎で初対面の人と交流する機会が少ないので友達作りにも苦労して続かなかった。あと、親も人間関係が苦手だったので、その辺のヘルプもなく、自分でなんとかするしかなかった。

話が逸れるが、普通の家庭では人間関係について親から学ぶ機会があるらしい。1年間寮生活をした時に知った。例えば、付き合う人間について自分の基準を持ち選別する、非常識な人にはNOと言っていい、それと同時に嫌でも表面上は取り繕うフリ、協調性を持った立ち振る舞いをするなど。

自分の親は、コミュニケーション能力が低すぎたので、ド田舎に住んでいて人間関係が希薄だったので、付き合う人を選別するという段階にいなかったのかもしれないが。人間関係が希薄だったので、関わってはいけない人が存在すること、というより自分たちが関わってはいけない人間であることを知らなかったようだ。

あと、親のやばさが普通だと思っており、やばい人に慣れきってしまったので、特に大学時代は変な人たちに絡まれてもNOと言えず本当に苦労した。普通の人なら、挨拶の時点で違和感を抱き秒速で切られるレベルの人にすらまともに相手をしてしまった。

でも、1年間寮生活をして、常識的な言動を友人たちから学び、嫌な人とは関わらない、自分の気持ちを大切にすることを習慣化したら、1か月もしないうちに行動が変わった。すると人間関係の悩みも劇的に減少したのと、自分で決断するという癖がついたので活動的に過ごせるようになった。

寮生活も終わり、実家に帰ってからは家族との衝突が増えた。嫌なことは嫌だと言えるようになったのが原因だと思う。私へのイメージが、歯向かわない、おどおどしている人から変わっていなかったから家族は困惑したんだと思う。

話を戻す。家族としては「自分の意見が言えるようになった」というより「サンドバック役が言い返してきた」とショックを受けたのかもしれない。

それ以降も、風当たりの強さは変わらず、あと姉たちの会社員生活が上手く行かなかったことも重なり実家は居心地が本当に悪かった。

一番意味不明な事件が起こった。自分が希望していた会社に就職が決まり、その報告を家族lineに投稿した時の話。おめでとう、の言葉もなく、なぜか「個人情報の管理が甘い」といちゃもんがついた。自分が抱えてきた思いを家族にぶつけた。

どんなことを言ったのか覚えていないが、この出来事があってからは長女との仲は険悪になり、一方的に無視されるようになった。私の友人がウチに遊びにきてもあからさまに無視して、その様子を見た友人すら緊張した様子だった。

長女はヨーロッパ崇拝系の出羽守で、会社員であろうが自分の意見をズバズバ言えるワタシに酔っていたが、どうやら他人、しかも末っ子が同じことをするのは嫌った。

思い返してみれば、転職活動も上手く行かず、翌年は年齢制限に慌ててフランスにワーホリに行ってたくらいなので、心はボロボロだったのだろう。だからと言って、末っ子の私をサンドバック役にしたことは許されないが。

次女も状況は悪かった。新卒で入社した会社は3か月で退職。人間関係が苦手で、家事もろくにできず要領も悪い人なので一人暮らしにも失敗したのだろう。

その後も上手くいかず、20代で仕事を転々とし転職エージェントすら相手にされないほどだった。あと、長女からの「一人暮らしをしなければいけない」という洗脳もあったが、一人暮らしに失敗した苦い経験があるので、必死に婚活していた時期だった。婚活に上手く行かず家族に奴当たる始末。結局、年下で小太りの隠し事をする癖がある難ありと結婚した。ちなみに、自分は結婚式を欠席した。

次女は自分の不遇を嘆き、仕事が辛いと家族に八つ当たりをしてきた。本当に手が付けられない状況で、さすがの両親も恐怖心を抱いたらしい。次女の言いなりになったり、家事も全部親が引き受けていた。次女はそのことに対して感謝はしなかった。

会社で苦労した姉たちだが、痛みを知って優しくなるどころか、被害者意識ばかりが強くなっていった。

私の就職先は昭和の雰囲気が残る不動産の会社で、社風の著しい不一致から心身の不調に悩まされていた。その頃は、「定期的に実家に戻らなければ」という思い込みがあったので、頻繁に実家に帰った。そこには荒れ狂った次女が居座り、ストレスのせいか父の髪は真っ白になっていた。さすがに父には同情した。

社会人なりたてでの私に労いの言葉をかけることなく、とにかく些細なことでいちゃもんをつける、家事全般を押し付けてくる、夜中に部屋に怒鳴り込んでくるなど常軌を逸した行動に耐えられなくなった。

次女に反撃をした。父の手料理ではなくコンビニ飯を目の前で食べる次女を叱った。本人の言い訳は「食費を節約するため」だったが、「作った人への感謝を大切にしろ」と言い返した。

あと、次女への嫌味を本人に聞こえるような声の大きさで言った。小心者の次女は虫の居所が悪くなったのか、その場から立ち去った。

実家暮らし、仕事を理由に家事全般も手伝わず、しかも買い出しすらしないので、次女は100万円の貯金ができたらしい。呆れた。

実家は難関国立大学に合格し英語が堪能な長女を崇拝し言いなりになっていた。貧乏で経済的な余裕が無く母の日常的なヒステリック。そんな雰囲気で精神的に疲弊していた家族のガス抜きとして、家族の共通の敵として末っ子の私が選ばれサンドバック役にさせられた。

そのことに気が付いたので2023年の春。家族との縁を切りたいとうっすら思っていた。その頃も定期的に実家に戻っていた。親と色々と話し込んでいた時のこと、前後関係は覚えていないが、母が「最後に頼りになるのは家族だけ」と言ってきた。その言葉に呆れた。

日常の鬱憤を晴らすために、言い返せない立場であることをいいことに末っ子の私はサンドバック役になった。しかも、「あんたを殴ったこともあったが仕方が無かった」と自分の暴力行為を正当化してきたのだ。

しかも、「こっち(実家)に帰ってこないか」と提案してきた。たぶん介護要員というか、まぁサンドバック役が欲しいんだと思う。

そんな気がして、親の提案に対しては秒速で拒否した。親は「なんでそんなことを言うのか」と呆れた口調で言ってきたが、私の決意は固かった。

子供を自分の所有物だと思っているんだろう。子供も一人の独立した存在で、自分なりの生活基盤を他にも築いていることを知っていたら、車社会のド田舎で、ブルーカラーの仕事は役所のみという選択肢の少ない土地に呼ぼうなんて思わないはず。

母の口癖は「知識は大切だから大学進学を許した」とか「結婚出産してもキャリアは捨てるな」だった。本気でそれを願ったのであれば、自分の子供を介護係として田舎に閉じ込めるなんて発想すらしないはずだ。結局彼らは"善良"で"思慮深い人"だと本気で思っているのだろう。

子供時代はサンドバック役、大人になったら親の介護係。そんな人生なんてクソくらえだ。