両親に殺された感情を取り戻す(5/5)

社会人生活4年目までは、己のコミュ力の低さで本当に苦労した。

でも、同期や同僚は優しかった。でも、コミュ力の低さ、頑固さのせいでみんな自分から離れていった。

振り返って気がついたこと。カリキュラム通りにやれば、コミュ障でも学生時代は優等生になれる。でも、社会人って自分で諸々の設計をしなくちゃいけない。そのためには、周囲の人を味方につけて、色々と教えてもらえるように愛想よく振る舞う必要がある。

そのあたりも知らず、取り返しのつかない失敗をしまくった。たぶんこの失敗って普通の人は物心ついた頃から経験したことなのかな、と思うと自分の出生を呪った。

これまでの反省するため、非礼をしてしまった人たちに謝罪、コミュ力の高い人から人間関係や仕事の進め方、立ち振る舞いを教えてもらったり、定期的に飲み会や企画をやってグループでの立ち振る舞いを学んだり...

お察しのとおり、自分の両親、もちろん姉たちも社内政治の手前である人間関係が下手だった。因果関係があるかどうか分からないが、母親、姉二人はうつ病で休職している。3人とも共通しているのは、要領が悪く、それをカバーできるほどの愛嬌も無かったことだと思う、家庭内での彼らの立ち振る舞いを見た感じ。

実際、母親は電話口で誰かと頻繁に口論してるし、一番年上の姉は同僚や上司をぎゃふんと言わせた話を自慢げに話すし。あと、真ん中の姉は要領が悪く思い込みが強く逆恨みをする性格。あとかなりのコミュ障。というか赤ちゃんの頃発語が遅すぎて、祖母から発達の遅れを心配されてほど。

難関国立大学、有名大学を卒業した二人は自分たちのことを頭がよく社会問題に関心がある善人と思い込んでいるんだろう。でも、適切な交流を経験してこなかったからか、非効率で古臭い慣習にも理由があること、言葉にしないだけで皆色々と悩んでいるということを知ることができなかったのだろう。

それなので、上手くいかないと自分の立ち振る舞いを反省することなく、他人や組織を批判するようになる。社会人になってから本当に酷かった。「私たちを理解してくれない社会がおかしい」と自分の言動を反省することなく、それどころかそれを上手く解決に導いてくれない社会/周りの人間がバカであると。

「他人に甘えるな。自分でやれ」とギャーギャー偉そうに言っていた姉たちだが、自分たちの発言が跳ね返っていることは気づいていないらしい。

ちなみに、自分も休職した。母親が「気持ちを吐き出していいんだよ」と気持ち悪いことを言ってきた。高校時代のように「いつまで寝てんだよ!」とヒスられることが想像できたのでメッセージは無視、実家には帰らなかった。

奴らのアドバイスは全く頼りにならないのが分かりきっていた。あと、そんな状態になった私に対して待っていましたと言わんばかりに「実家に戻らないか」と言ってくるだろう。表向きは子供を心配しているだろうが、介護要員を確保するために色々と洗脳してくることを一番警戒していた。

というか、実際に「実家に戻らないか」と言われたことがある。秒速で拒否した。

話の流れ的に許せなかったからだ。母親が急に「過去にあなたを殴ったが、あの時はそうするしかなかった」と過去の虐待を正当化してきた。そんで、「実家に戻らないか」と言ってきた。自分の暴力を正当化して、挙句の果てには介護要員になれと解釈できそうな発言をする。

その時、「あぁこっちを一人の人間として認識してないんだな」と思った。社会人で実家を離れ、姉二人と違って転職もしていない。新天地で友達と仲を深めることもできた。あと資金援助無しで歯列矯正の費用100万円を捻出した。休職したが傷病手当も受け取れるから資金的にも困っていない。

曲がりなりにも新天地で頑張ってきた。それなのに、それを全部捨てて、僻地で仕事を探し老夫婦の介護をしろと。介護離職、昔NHKで放送していた「ミッシングワーカー」が頭をよぎった。

「大学で学んだことは宝」とか「キャリアは死守しろ」とか綺麗ごとを言っていたけど、本音を聞けば「今の仕事と友人を捨てて介護要員になれ」とか。

この清算期間を経て、いかに家族が異常であるか思い知らされた。これを自覚してからは、家族からlineが来ただけでも吐き気がするようになった。

あと、郵便物が来たときは倦怠感で2日間寝込んでしまった。もちろん郵便物は「受け取り拒否」で突っぱねた。そしたら、親が会社に電凸してきた。でも会社の人が適切に対応してくれたため、電話で直接親と話すという最悪なケースは避けることができた。

両親は自身の加害性には気が付いていないし、そんな人たちに「変わってほしい」と願うのは無駄、裏切られるだけ。だから、静かに縁を切る準備を進めるだけである。

メンクリの先生にも、友人A子も「親を説得するのは無駄」と教えてくれた。さらに、先生には「親や姉たちからの洗脳から脱出することが治療の第一歩だ」と。

このように他人に読まれることを意識して自分の人生を振り返ると、これまで蓋をしてきた記憶や感情がよみがえってきた。幼少期や青春時代、学生時代の自分を捕まえて、「あの時私はどう感じた?」「どうすれば事態は好転したかな?」「あの時友達はどんな表情をしていた?」と消し去ろうとしていた記憶の形を取り戻そうと思う。

道半ばだが自分の感情を取り戻すために、自分に問い続け、友人と語り合うことを諦めない。