両親に殺された感情を取り戻す(3/5)

そんな感じだったから、学生生活は悪夢だった。

しかも最悪な外的要因も加わった。それは中学時代に通ったスパルタ塾。

卑屈さと勉強嫌いが加速したと思う。雰囲気は昭和の受験戦争時代という感じで、中学3年では9:00~22:00まで塾に缶詰め状態、携帯電話の着信音が鳴れば犯人を捜すためだけに授業を1つ潰して大声で怒鳴りまくる等。

日常的に苦しめられたのは、ヒステリックな塾長、3人掛け机にギチギチの状態で勉強を強いられる環境だった。そんな環境だったのでそこの卒塾生は希望校に合格できたものの、その後は勉強嫌い、卑屈さが悪化して大学受験に失敗している。

それに加えて、塾長は学校の教師を見下しており、その考え方は塾生にも伝染した。「学校の先生の言うことは信じるな」これは口癖だった。今振り返ると、大人げない発言だし、これは塾生を洗脳するための発言だったのだろうと思う。

これは想像だが、塾長の人生は不本意なものだったかもしれない。そう察するものがいくつかあった。そもそも大学進学率が低い北関東のド田舎、なのに塾長は開成高校を受験したが不合格だったと彼の同僚がポロっとこぼした。

塾長は地元にある公立高校に通い早慶に合格、ラグビー部に入った。普通は都内の企業に勤めるはずだが、彼はド田舎にある親の塾を継いだ。年齢的に彼は就職氷河期の世代。想像だが、就職に失敗したのかもしれない。ラグビーをやっていたのでコミュ力は問題ないし、体育会系のコネもあったはずだ...

本人の強い意志で塾を継いだのかもしれないが、私も同じ立場だったら相当拗れたかもしれない。

自分は希望する高校に合格し、恐怖政治をする塾からも距離を置くことができたが、その副作用かもしれないが自発的に勉強する気力が無くなった。

話が逸れた、本題に戻る。

高校デビューに憧れて目立つことをしたかった。「友達100人作るぞ!」と意気込んだけど全部空回り。クラスの人から陰口を言われ、親切だったクラスメイトから見放された。しかも、成績も非常に悪く後ろから数えたほうが早かった。人間関係も勉強も失敗だらけで、ついに過眠症状がでて、高校3年生の5月~6月まで休んだ。

母の勧めで地元のメンクリに通ったが、親子関係の問題にまでは切り込まれなかったため意味がなかった。当時でもそんな直観を抱いていたので、母親に転院をお願いしたら「ダメだ!」と却下された。

今思えば、融通が利かないとか、前例に異常なまでに固執する等、もしかしたら母親は発達障害人格障害があるのかもしれないと思う。ちなみに母親はうつ病り患歴あり。

普通に考えたら、子供がメンクリに通うこと自体が異常事態。でもこの母親は「世間の不条理のせいで壊れてしまった可哀そうな子」って本気で思い込んでいた。自分が子供を虐待したせいで心の拠り所、自己肯定感を育むことができなかったのも一つの原因であることに自覚も無い。

すんごく不気味なのが、そんな奴に限って、子供が弱った時は不気味なレベルで優しいんだ。弱った子供を労わるワタシ、そんな状況に追い込んだ世間に憤慨する正義感の強いワタシ、という感じでね。

でも、その優しさ()も期間限定でさ、あと不安症が悪魔合体すると最悪なんだよ。ある日寝込んでたら「いつまでそうやって寝込んでるんだよ!!」と叫んで無理やり登校させられた。

何も言い返すこともできず、不調な体に鞭を打って無理やり登校する。今でも覚えているけど、全力で自転車を走らせたら嘔吐した。でも家に帰るわけにもいかず学校に行って、自転車に付着した嘔吐物は今でも記憶にへばりついている。

一定期間休んだので、頭も動くようになり成績は上位に食い込むくらいになった。そのあとは割と順調で、浪人して希望する大学にも合格した。ちなみに通った予備校は放任主義というかカリキュラムも緩かったので自分の性格にあっていたのも良かった。

でも、劣悪な家庭環境、低いコミュニケーション力、頑固が直らないまま大学生活に突入し苦労した。