両親に殺された感情を取り戻す(2/5)

過去の清算を行うにあたり、似たような経験を持つ友人(A子)の存在は本当にありがたかった。自分の家庭環境がどれほど過酷で異常だったのかを知ることができたから。

記憶の清算の第一歩は辛かった過去の記憶を思い出すこと。思い出すだけれも涙が止まらなくなるくらい辛い記憶だ。でも大人になった今できることは、その時の自分を思い出して暖かい言葉をかけて労うことだと教わった。

A子と語り合って気がついたこと。虐待家庭で育つと、話し合いではなく暴力で物事を進めることに躊躇しない。

正直に言うと、"親の機嫌を損ねるなどの悪いことをする→暴力をふるって思い通りにさせる"という流れが常識だと本気で思っていた。だから、何か引っかかることがあると、友人のせいにして、話し合いをすることなく殴る蹴るなどの暴行を加えてしまう。

最悪なことに罪悪感はなかった。「成敗してやった」とか「矯正してやった」など変な正義感的が沸き上がり、謝罪の言葉なんて無かった。だから多くの友達が私のところから去っていった。自分は本当に最悪な人間だ。

逆に、自分が暴力を受けたらどうなるのか?「悪いことをしたのは自分だから、暴力をふるわれるのは当たり前」って考えになるので殴られても抵抗しない。

そんな暴力が当たり前の環境で、しかも3人姉妹の末っ子、家族のサンドバッグ役として本当に辛い幼少期を過ごしてきた。※だからと言って友人たちに対する暴力を正当化するつもりは無い

上記の状況は、自分にとって当たり前だと思い込んでいた。むしろ「自分が本当に悪いことをしたから暴力をふるわれるのは当たり前」とね。でも、A子からも度が過ぎた家族だと思ったらしく「ひどい家族だ」と指摘され慰められて、やっっっと自分の家庭環境が異常であることに気が付いた。

以下、家族から受けた虐待 ※ありのまま書きます

  • 1か月フルシカトされる(複数回)
  • 姉二人から仲間はずれにされ、「バカチビ」と言われる
  • 弁当箱で背中を複数回殴られる
  • 一人で寝るのが怖いと言ったら尻を強めに叩かれた
  • ランドセルやおもちゃ箱を玄関や車庫にぶち撒かれる(複数回)
  • 「あんたはウチの子じゃない!」と叫ばれ夜中に家から追い出される(複数回)
  • 家から追い出され鍵も閉められ、日中ずっと外にいた(複数回)
  • 理由も無く頭を叩かれる(複数回)
  • 勉強机の上に置いてあったものを床に振り落とされる(複数回)
  • 他の保護者や子供の目の前で「ウチの子は出来が悪すぎる」と愚痴られる
  • 服選びの時にアドバイスを求めたら「お前に似合う服はない」と言われる
  • 容姿や体型を侮辱される

記憶に残っているのはこれだけ。普通は子供の制御不能性とか、社会性の未熟さを前提にして、何か問題が起こったら改善案を一緒に考えるとか、言葉を使って教えるんだろう。でも、両親はそれができなかった。

自分が大人になった今、親が暴力という手段しか取れなかった理由がわかる気がする。要はコミュ障なんだよ。

非常識で幼稚なマイルールが正しいと疑わない。自分と同じ意見=善、違う意見=悪という単純な思考回路をしているので、意見の相違があったら話し合い落としどころを見つけるという作業ができず攻撃にはしる。

一応父親はマシ(暴行は1回のみ)で、改善案とか示してくれたが、それを見た母親が「甘やかすな!」と発狂して握りつぶされたこと複数回(遠い目)

なんで父親が母親を制御できないかって、結婚するためだけに母親に妥協したという後ろめたさがあるから。妥協したという話は本人が語っていた。マジでデリカシー無い。

そんな親の姿を見て姉たちも学んだわけ。そんで、姉たちも母親から暴力を受けていて、そこで溜まった鬱憤をこっちで発散させるという暴力の連鎖が出来上がっていた。

他の家族とかの交流があれば、暴力をふるわない、まともな人もいるって学ぶことができたかもしれない。でも実家は田んぼのなかにある僻地、親戚ともギクシャクしていて、ゲーム機も無いから友達も呼べない、というコミュニケーション能力が全く育たない環境だった。

そんな環境で生み出されたのが、感情表現が無い、頑固、会話が成り立たない、癇癪もちの人間。

 

続く