母との関係(1/3)

ほぼ縁を切っているが、母との記憶を清算しないと前に進めないのでここに記す。

一言でいうと毒な人だった。

小学生の時に母を亡くし、父親が連れてきた後妻さんを浮気相手だと決めけ、兄は中卒で家でし、母は不本意な形で看護学校に入学した。

悲しいことに、母の言動は生育環境が原因ではない説がある。なんと伯父は正反対の性格だからだ。祖父の孫の立ち振る舞いからわかる。

母の発言で覚えていること。「人に頼るな甘えるな」「旨いものを食わせるな贅沢になる」「漫画/ゲームを与えるな」「あんたはウチの子ではない」「本を読まないと人の気持ちを理解できない」等。

日常の困りごとがあっても、「お前はダメなやつだ」と事情も聴かず暴力を振るわれる。大人としての知見を示すことは一切なく半ネグレクトの状態だった。父親がサポートしようものなら「お前が甘やかすからこいつはダメになったんだよ」と怒鳴ってきた。だから、社会人になっても人を頼ることができなかった。

普通に考えたら、子供は未熟なんだから失敗はつきものでしょ。仕事でも、部下が失敗したら、リカバリーの方法や別の手段を一緒に考えたり、そのように行動した理由を聞いたりするのが普通では?

あと、母の手料理は死ぬほど不味かった。一番酷かったのは、高野豆腐とゴボウを卵でとじたもの。鉄の味しかしなかった。「旨いものを食わせるな贅沢になる」という言葉は母(自分から見て祖母)の口癖だったようだ。たぶん、料理が絶望的に下手のなかで苦し紛れで思いついたセリフなんだろう。「家の食べ物は不味い」という思い込みが強く、実家を出るまでは食べ物の好き嫌いが極端に多かった。今は治っている。

看護師の資格を持っているので、栄養管理への拘りも病的だった。菓子や菓子パンは禁止だし、揚げ物の衣は全部剝がされた。鉄分補給を理由に鉄のフライパンしか使用を許されなかった。テフロン加工のものを買うのも非常に苦労した。菓子類を禁止された反動で、友達の家に遊んだ時はスナック菓子を食い尽くして白い目で見られたこともあった。あと、なぜか中学生の時にスナックが解禁されたので、食べまくった姉は激太りした。

あと、テレビの影響かもしれないが、漫画やゲームは教育に悪いだけと思い込んでいたらしい。だから母には内緒で買った漫画「クレヨンしんちゃん」を全部捨てられた。古書店に売ることなく捨てた。子供のころの話題って、テレビ、漫画、ゲームが中心なんだけど、お察しのとおり、友達の輪に入れなかった。でも高学年になった頃から父がお金を出すという条件で漫画やゲームが解禁になった。

でも、共働きだったし、お菓子も無く、中古のゲーム機だから使いづらいので、友達も寄り付かなかった。そもそも半ネグレクト家庭なので、コミュニケーション能力も非常に低かった。あと、日常的に暴力を振るわれたり失礼な暴言を吐かれていたので、最低限のマナーも身についていなかった。だから、学校でも友達を叩いたり、失礼な言動をしたし、友達が描いた絵を勝手に消すなど、本当に野蛮な子供だった。

たぶん遺伝的な要因だけど、整理整頓や掃除ができなかった。そして、母が不機嫌になると部屋が汚いことを理由にして、ランドセルやおもちゃ箱の中身を外にばら撒くなんてことも日常茶飯事だった。子供3人とも発達障害の可能性があるのでたぶんそれのせい。

掃除ができないことに対して、収納スペースを増やすとか、一緒に廃棄作業をするという解決方法は示されず、ただただ自分のものを玄関や車庫にばら撒かれただけだった。あと決まって「姉のマネしてるんだろ」と思い込みも甚だしい暴言も吐かれることもあった。

思い通りにならないと暴れるのも日常茶飯事だった。トリガーは覚えていないが、「あんたはウチの子じゃない」と叫び声を上げて、無理やり夜中に玄関から追い出された。子供にとって恐怖でしかなかった。ド田舎なので街頭は少ないし、ご近所さんも3件のみ。必死に「開けてよ!!」と自分も暴れてなんとか家に入れたが、その必死になっていた姿を後日姉にバカにされた。

夜中は父が家にいたので助けられたが、父がいない昼間は最悪だった。姉が通っていた高校の文化祭当日、母に行こうかと誘われたが断った。そしたら、家から追い出された。玄関から出る前にこっそりと廊下のカギを開けた。母が車に乗って出かけたら、空いている窓から家に入った。姉が通っていた高校は車で片道1時間かかるから、多分母が帰ってきたのは夕方だったと思う。

あと、「本を読め」とうるさかった。本を読むと人の気持ちが分かるようになるという持論だった。そもそも暴力をふるってくる親を尊敬することができなかったから、どんなアドバイスにも反発した。というか、人の気持ちが分かったら子供相手に暴力を振るわないわな。

自分なりに気になる本を選んだが、チョイスをバカにされて読書の意欲がゼロになった。その嫌な経験のせいか、自分の頭では理解が難しい小難しい本を選ぶ癖がついてしまった。「バカにされたくない」という言葉が頭について離れなかったから読書が本当に嫌いになった。

両親と真ん中の姉は新聞や本をよく読むが、人間関係は全然ダメだったと思う。たぶん、母には気軽に誘える友人がいなかったから、自分が文化祭行くのを拒否した時に絶望や怒りであんな仕打ちをしたんだと思う。ちなみに真ん中の姉は一番コミュ力が低すぎて職を転々としていた時期がある。

贅沢をさせないため、あらゆる物は中古だった。まぁ服がおさがりなのは分かるけど、勉強机が中古なのはさすがに惨めだった。なお姉二人は新品を買ってもらっていたしかも収納も少なく、掃除が苦手な自分にとって最悪な机だった。もちろん掃除も苦手なままで、癇癪を起した母が、机に乗っていたものを床に振り落とすことも頻繁にあった。だから、見かねた父が収納グッズを買ってくれたが「そうやって甘やかすから掃除ができなくなるんだ」と絶叫され捨てられた。

友達の家に遊びに行くと、新品の机、洋風で明るく綺麗な家で、実家が貧乏であることを痛感させられ辛かった。ちなみに当時の実家は全部和室。

 

続く