田舎のスパルタ塾に通った人のその後

「おい!誰の携帯が鳴った??名乗り出ろよぉ!!よぉ!!」

犯人捜しのために授業一つ潰して、机を拳で殴りまくりエンドレスで怒鳴る講師。

これは北関東のド田舎にあり、地元で有名なスパルタ塾での出来事。

高校受験では大手塾に引けを取らない合格実績だが、悲しいことに卒塾生の大学受験の成績は芳しくなかった。

結論を先に言うと、この塾に通うとノイローゼになって勉強嫌いになるから。

中学受験には縁がなかった土地柄で、みんな多様性のある()公立中学に通っていたので、勉強をやらせるには強権的な手法を取らざるを得なかったんだろうと願いたいが...

実際、地元では学級崩壊は珍しくないことだったし、首謀者もこの塾に通っていた。

だから、いくら成績が良くても舐めた態度を取ったら、気が弱そうな男の子でも容赦しなかった。実際、塾生からバッグを奪い取って荷物の中身を外へぶち撒けるとかやってた。しかもそれを他の塾生の目の前で。

女の子が相手でも容赦なく大声で怒鳴るとかあった。

そんな光景を目の当たりにした塾生は、塾長の機嫌を必要以上に伺うようになり、それを塾長は感じ取っていたのか、あろうことか自身のブログに自分がイライラしている旨を書いて、塾生を震え上がらせていたものだ。

自分の成績は向上したし、特に素行に問題も無かったので怒られることはなかった。でも、ほかの人が怒られているのを見ているだけで、手が震えだしたりして結局ノイローゼになった。

一番辛かったのは中学3年生の頃。受験対策ということで、朝の9時から夜の9時まで自習するカリキュラムが組まれていた。塾長が頻繁にヒステリーを起こさなければ理想の塾だったのだが。

とは言っても、怒られる塾生はある程度固定されていた。うぬぼれナルシスト男、クラッシャー女、という日常生活でも頻繁に問題を起こしそうなタイプなので本人たちには申し訳ないが自業自得ではある。

でも一番精神的にきつかった事件は、冒頭に書いた「着信音事件」

授業中にメールの受信音が鳴り、塾長から犯人は名乗り出るようにと指示したが無視。一応、塾のルールは授業中に携帯を使ったとか着信音が鳴ったら携帯を1週間没収することになっている。まぁ年頃だから携帯電話を取り上げられるのは耐えられないんだろう。塾のルールも塾長の指示も無視することは、ここでは死刑を意味する。

「おい!誰の携帯だよ!よぉ!!!」30代眼鏡をかけた中年男性の怒鳴り声と机を拳でたたく音が隣の教室にも響いた。でも誰も名乗り出ず、教師室に一人一人呼び出された。自分は悪くないのに恐怖で泣きじゃくってしまった。結局、塾長は授業を潰して怒鳴りまくったが、犯人は分からず最悪な雰囲気でその日を終えた。

でも逆に、真面目系で育ちの良い感じの女の子は耐えられない環境ではあった。この恐怖政治がトラウマで、卒塾後も塾の送迎バスを見ると動悸がする子もいた。

塾の恐怖政治に耐え、みんな志望校に合格した。でも、大半の子は勉強嫌いになり成績もかなり低迷してしまった。自分もその一人だ。とにかく勉強が嫌いになって、あと塾=恐怖政治のイメージがあったので、塾に通いたくなかったし、通信教育ですら拒否した。

恐怖政治の記憶だけが残っていたので、よくわからないが「勉強をしなくては怒られる」という謎の強迫感でぐったりしてしまい、勉強に集中できなくなった。数学は毎回赤点だった。でも英語は割と得意だったから命拾いした。

でも、親も進路について話し合いができていなかったので、「何がなんでも国立!」という学校の目標に従うしかなかった。「勉強しなくちゃ」という強迫観念はあるが、勉強はできないし成績も底辺。ノイローゼになり、高校3年生の5月から6月の間学校を休むことになった。

この時、素直に「成績不良だから学校に行きたくない」と親に言えばよかった。でも、半ネグレクト家庭で、子供の感情表現を握りつぶすような環境だったから言えるはずがない。というか、自分の感情に鈍感だったから、当時の自分は何でこんな精神状態になってしまったのか理解できていなかった。

本調子ではなかったが「早く復帰しろ」と親に追い込まれた形で1か月で復帰。しっかり休むことができたのと、担任の先生は理解がある人だったので、普通に受け入れてくれた。

補習が必要だったがなんとか卒業。当時の担任には頭が上がらない。

変な言い方になるが、浪人生活は天国だった。いい意味で放任主義でアットホームな雰囲気なのが自分の性格とマッチした。自分は恐怖政治よりも放任主義のほうが合うというのはいい発見だった。まぁ、比較の対象が、多様性のある()公立中の生徒が集まる環境と進学校出身者が集まる環境なので意味は無いが。

自分は志望校に合格し、進学先は自由放任な感じだったのでよかった。

スパルタ塾の卒塾生のその後を追ってみる。

特にトラウマが強かったN子は、勉強のモチベーションを完全に失い、幼稚園教諭を目指す学校に合格したが、このことは誰にも言いたくないとこぼしていた。他のK子は、失意のうちに地方の福祉大学に進学した。

二人とも劣等感に苛まれていた。問題の根底にあったのが勉強以外に得意で打ち込める趣味的なものが無かったことだ。N子は絵が上手だったが、中学時代から一緒にいたR子が親友にして最大のライバル。いつもR子と絵で比較される日々、勉強のやる気も起きない。中学時代の自信はへし折られ、友達を作ることもできずN子の顔はいつも暗かった。あと、N子の母親は自分の子供の成績をご近所さんに自慢するタイプだった。だから、高校に入って勉強も何もかも不調になってから親との関係もギクシャクしてしまったのかもしれない。

ところでR子は現役で芸大に合格した。

K子も同じ感じだった。何かの用事で地元の駅で電車を待っていたらK子に話しかけられた。高校時代は勉強も不調、友達もできない、部活も意地悪なOGがいて嫌な思いをした等、本当に鬱々とした日々だったと語った。思い出してみれば、高校時代、私がK子とN子の前で参考書を開いて勉強していた時の話。私に聞こえる声で勉強していることを揶揄する言葉が聞こえてきた。当時は「なんだよ意地悪な奴らだな」と思ったけど、そうか当時二人とも限界だったのかと。

K子は進学先では人間関係に恵まれたようで、大学生活は楽しいと語っていた。今の自分を肯定できると過去にも向きある気力がわいてくるんだな。

他にも要因はあると思うけど、中学時代の恐怖政治はその後の人生に影を落としたのではないかと考えている。確かにスパルタ教育のおかげで、高いレベルの高校に合格できた。まぁ塾としての役割は十分に果たしているけど。でも勉強以外に自分を肯定するとか、他人と繋がる方法や趣味を持っていなかったことが足枷になったと思っている。

これは家庭レベルの話なのは承知している。趣味や特技が無い、人間関係が苦手な状態でスパルタ塾に行く場合は、将来勉強が嫌いとか不得意になるような状態だけは避けたほうが無難かなと思う。

田舎だとその塾しか選択肢にないということもあるだろう。子供相手だと強権的で無礼な態度を取りやすくなるなので、講師の言動に引っかかることがないか、日常的にコミュニケーションを取る必要はありそう。もしも度が過ぎているようなら、対処法を一緒に考えるだけも、なにもしないよりマシだろう。

そして、勉強以外に夢中になれることを見つけること。そうすれば、勉強で躓いても自分を肯定できる趣味、友人に巡り合うことができれば、今の自分を肯定できるかもしれない。