虐待被害と学習障害の関係

発達障害かと思っていたが、実は学習障害のボーダーだった。

具体的に挙げると、以下の項目が平均以下だった。

・知覚推理:非言語的な情報に基づく推理力や理解力

・ワーキングメモリー:情報の一時的記憶と活用力、注意集中力

知覚推理の低さは昔から自覚はあった。『抽象的な視覚イメージを頭の中で操作して、整理することが苦手。対策として、シンプルな視覚情報を参照しながら実物の物を使って実際的な確認ができるといい。』

確かに、元上司から「ここまで細かく説明しないと伝わらないの?」と怒られたことがあった。その元上司も、前例が無い作業は何度も説明しないと理解できない感じだったので、まぁ同族嫌悪でしょう。

ただ実際、実物を見ないと本当に理解できないので、この特性は本当に足枷になる。

あとワーキングメモリーの低さ、これが自分の生きにくさの根源。ワーキングメモリーが低い人はこんな感じ。

『必要な情報に注意を向け、それを頭の中で一時的に記憶して活用することが苦手。一対一の場面や静かな環境であっても、必要な情報に注意集中を向けて、それを維持することが苦手。そのため、様々な刺激で注意が逸れてしまい、ミスや物忘れが生じやすい。聞いたことをその場で理解することはできるが、他の行動に移ったり、物事を同時進行していると覚えておくべきことを忘れることがある。注意集中を維持できる時間は短いので、作業に取り組む際は注意を妨げる刺激を取り除いたり、こまめに休憩を取ったり、覚えておくべき情報を後で見返して確認することができる形に残す工夫が必要。』

書いていて思い当たる節が多すぎて納得しかない。

メンクリの先生に検査の結果を持っていく予定だけど、たぶんワーキングメモリーが低いのは、幼少期の虐待が原因かもしれないと言われるかもしれない。

一応、平成18年度研究報告書「虐待児への学習援助に関する研究 ―被虐待児の認知に関する研究」でも似たようなことが書いてある。

結論では、『学習困難を示す被虐待児については、学習に対する注意集中維持困難と視覚認知の問題、言語性ワーキングメモリーの問題が学習困難の状態と関係していることが示された』とある。

学習困難を、学習意欲の意欲の低下と私は解釈した。

ざっと読んだ感じ、虐待を受けまくると無気力感を抱くようになり、努力もしなくなるらしい。

すごく分かる。小学生の頃から勉強が嫌いで、いつも宿題は後回し、夏休みの宿題は最終日に親に怒られながら徹夜で終わらせた記憶しかない。

導入でも『虐待は、集中や記憶、特に聴覚的は短期記憶やワーキングメモリーなどに影響を及ぼすことが推測される。従って、その面を考慮して学習方法を工夫することにより、学習機能が向上する可能性を持っている』

うわぁ、、、虐待経験が無ければ、あったとしても適切な学習方法を受ければ、私の生きにくさは無かった説あるの?????

幸いなことに、処理速度と言語理解は適切なようだ。ただ、処理速度については、ゴールとやり方が明確で、単調な作業なら力を発揮できる。””単純な作業なら””

会話が嚙み合わない、ミスが多い、マルチタスクができない、話をすぐ理解できるがすぐに忘れるなどのやらかしは、全部このワーキングメモリーの低さで説明ができる...

この検査を受けるまでは、自分は発達障害なのかなと漠然と思っていた。でもまさかの学習障害のボーダー。でも納得の診断。

知識がないと、例えば「コミュニケーション能力が低い」はASDを疑うし、「ミスが多い」はADHDを疑う。でも、きちんと検査してみると、自分の場合はワーキングメモリーが低いせいで上記のことが起こってしまうことが分かった。

そういえば、ワーキングメモリーの低さは以前から指摘されていたなぁ...

運転免許を取る時に通った教習所での性格検査の結果はD判定。運転しないほうがいいと。理由の記載が無かったので「運転する時は気を付けよう」ぐらいに思っていた。でも会社の研修で教習所に行った時、なぜ性格検査の結果が悪かったのか理由が分かった。「想定外のことに慌てすぎる。運転は控えるように」というコメント。ぐうの音も出ない。

どこかのブログに書いてあったが、ワーキングメモリーが低いと直前の会話を記憶出来ないので、頓珍漢な返事をしてしまうらしい。そうか、言語理解は平均以上なのに、コミュ力が低いのは、ワーキングメモリーが低いせいで会話の流れを記憶できていないからか。

しかもワーキングメモリーって30歳で成長が終わるらしい。ということはそれ以降は手の打ちようがないってことかな?

ちなみに、ワーキングメモリーって5歳から13歳でピークを迎えるらしい。その期間って、親から暴力を受けたり、スパルタ塾で精神的に摩耗していた時期じゃん!!!

とにかく、脳みその成長にとって貴重な時期を、虐待や暴言のせいで無駄にしたと考えただけれ腸が煮えくりかえる思いだ。